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歴代教会長 紹介
初代教会長 松村愛助
 1930年(昭和5年)〜

二代教会長 松村眞治

 1992年(平成4年)〜
現教会長 松村泰子

 2021年(令和3年)〜


二代教会長 松村眞治師の紹介

札幌市羊ケ丘展望台にて
2005年6月14日


「渋柿の 渋そのままの 甘さかな」  
渋柿として生まれてきた自分の運命をなかなか受け入れることができずに苦しみましたが、この世にたった一人しかいない存在として生かされている意味を分からされ、それからは渋も含めて自分に与えられた伸びしろを引き出して頂くべく、非力は棚に上げて出来るところまでお役に立たせて下さいと願うようになって、ここまでのお引き立てにあずかってきました。欠点も多く、人様に借りもたくさん持ちながら、それゆえに豊かな応答関係に恵まれたことを感謝しています。偏にこの渋柿につきあって下さった皆様のおかげであります。まだまだ甘味になりきれず、中途半端な渋柿ですが、今後ともどうぞよろしく。

<略歴>
 1943(昭和18)年に当地で生まれました。生来病弱で、特に小学校3年頃からめまいの発作がしばしば起こり、中学校に進学直後寝込む日が続き一年間休学、復学後父親の自転車にて送り迎えしてもらってようやく中学校の課程を終えました。先天性血管腫・リンパ管腫による左下肢機能障害が発育にともなって進行し、高校に入学後本格的に松葉杖を使って歩行するようになりました。大学・大学院修士課程にて中国文学を専攻。  1968(昭和43)年に金光教学院(金光教教師養成機関)に入学し、翌年金光教教師に任じられました。
 1975(昭和50)年から金光教東近畿教務所職員として都合16年間勤務し1995(平成7)年同所長職任期満了を機に退職しました。
 1996(平成8)年1月〜1998(平成10)年12月金光教京都東部教会連合会長。
 1996(平成8)年〜2007(平成19)年金光教京都布教21世紀委員会委員
 地域にあっては、1992(平成4)年〜2018(平成30)年3月川端少年補導委員会東山支部長(13期26年間)、錦林東山会館(自治会館)管理運営委員会委員長など。
 1992(平成4)年から金光教鹿ケ谷教会二代教会長(同時に宗教法人金光教鹿ケ谷教会代表役員)。

<信条>
 いのちに関することは納得のいかないことばかりです。なぜ?この親のもとに生まれてきたのか?あの人は死んで私は生き残っているのか?寿命はどうして決まるのか? いくら問うても答えが出てきません。
 各自与えられた生存の条件は、不平等の一言に尽きます。ただ逆風の中にも伸びしろを伸ばすチャンスがあり、順風の中にも退化をきたす落とし穴があります。良いことづくめであったり、逆に悪いことづくめであったりはしない。今のここを生かして良しとして伸びしろを伸ばしていけば必ず差し支えることがなくなる、そのように天地の親なる神様が道を付けて下さっている。この確信をお伝えすることで、少しでも難儀を解かすお役に立ちたいと願っています。

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