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ししがたに(鹿ケ谷)て どんなところ?
鹿ケ谷に眠る人々 1)新島襄 2)内藤湖南 3)中沼了三 4)九鬼周造 5)谷崎潤一郎 6)河上肇 7)福田平八郎 8)冷泉天皇 9)琵琶湖疏水工事犠牲者17名 10)田辺朔郎 11)北垣国道 12)八橋検校 13)京大医学部解剖塚 14)会津藩士 15)会津小鉄 16)黒住宗忠 17)鈴虫・松虫 18)厨川白村 19)海保青陵 20)斎藤利三 21)橋本峰雄 22)向井去来 23)桜田一郎 24)竹内栖鳳 25)山崎闇斎 26)狩野直喜 27)朝田善之助 28)笠原光興 29)木下廣次 30)京都府立医科大学墓地 31)平澤 興 32)赤松俊秀 33)山本覚馬 34)徳富蘇峰 |
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鹿ケ谷は傾斜地という地形上の理由のほかに、地盤が固くやせていたこともあって、水田は見られず、畑作が主流でした。物産としては、鹿ケ谷かぼちゃ(ひょうたん型の在来種)が有名で、人手による品種改良を免れた素朴な味が珍重されています。もっとも畑自体は当地から姿を消してすでに久しく、今手に入る鹿ケ谷かぼちゃは郊外で生産されたものです。 |
写真は2002年8月4日撮影。実物高さ約20cm。
大正から昭和初期にかけて西田天香師が、当地桜谷町に一燈園の道場を開いておられました。山科に移転した跡地に今はノートルダム女学院が建っています。
鹿ケ谷の不思議 ?鹿はなぜ「しし」と読む?
むかしは、獣(けもの)を総じて「しし」といい、獣の肉をも「しし」と言いました。(宍戸錠という俳優がいますが、宍は肉の俗字です。)細かく種類を分けていう必要が生じてから、鹿のことを「かのしし」と言ったのでしょう。万葉かなでは、鹿という字を「か」と読ませ、鹿の子を「かのこ」と言うので、類推してそう思うだけのことですが。今でも「いのしし」という言い方が残っているので、「かのしし」もありえないことではない。「かのしし」は「しか」に転じ、「いのしし」は「いのしし」のまま残ったというわけ。後には、「しし」といえば百獣の王ライオンをさし、漢字も「獅子」を当てるので、「ししがたに」のししを「鹿」で表記するのが奇異に感じられるようになりましたが、日本語のもとをたどれば、納得されましょう。理屈からすると、古くさかのぼれば、獅子舞も鹿踊りであってよいわけです。それはそうと、馬や牛は、「しし」とは言わなかったらしい。牛馬は野獣の範疇から外れていた(つまり家畜だった)ために。島根県にある宍道湖(しんじこ)も、もとを正せば「ししの道」つまり「けもの道」という名前の湖であることが分かります。
鹿をししと読む例は、『鹿威』ししおどし。上向き加減の竹筒に一定量を越えて水がたまると竹筒が下向きに転じその反動でコトンという音を発する仕掛け。
まったくの余談ながら、銀閣寺の南に位置する法然院の入り口に「本山志ゝの谷法然院」と刻まれた大きな石柱が立っている。 どんな字を当てるかについては、昔の人はさほど頓着していないという証拠を見るような思いがする。いわゆる万葉かな風の表記法は、万葉集の時代をはるかに降っても変体かなとして受け継がれて、よく見かけます。けっして珍しいものではありません。 |