(46)

<り>利益(りやく)・おかげ 
  (以下「りやく」と読む場合には接頭語「ご」を付けます。それ以外は、「りえき」と読むことにします。)

 親神から賜るもの。
 今私達の生きている社会は、経済活動に大きな比重をかけている利益追求の社会ですが、これはギブアンドテイク(取り引き)を原理とし、一方で高利益を手にした人がいれば、他方で大損を食らった人が必ず出ます。しかし、神様から賜るご利益は、誰かを犠牲にしてということはありません。つまりギブアンドテイクとは本来結び付かない、無条件のものです。
 遥か昔のご先祖から未来永劫子々孫々に至る人間のいのちの流れそのものを、いやもっとそれよりも遥かに長いこの天地のいのちの流れを、わがいのちの成り立つ根源として押し頂く時に、自身の生存も含めてこの世界のありとあらゆる存在が、ありがたいご利益・おかげとなって立ち現れてきます。
 日常の暮らしにおいては、自らの生活を立て豊かにするための利益を追い求めて最大限の努力を払い、自力の及ばないところについては神仏に頼みすがってその霊験に浴したいと望みを託しますが、そこで受け取られるご利益・おかげは、明らかに人間が自らの欲望を満たす上でプラスと考える部分についてであって、たとえばその人間的な成長をもたらすと考えられる生老病死など難儀一切はご利益・おかげの中に含めないのが普通であります。逆に言えば、人生の様々な難儀に直面して、なおそれをしも自身の成長を願って差し向け下さった親神様からの賜物と受け取る態度そのものが、信心して受けるご利益でありおかげであるということになりましょう。なぜならば、親神の願われる「助かり・立ち行き」なるのもの中身は、絶えざる自己変革、つまり自らを育て高める取り組みに尽きるのですから。(了)
   →参照「おかげ
(47)欲得

表紙へ戻る

TOPへ