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<よ>欲得
ほしいと思うままに手に入れようとすること。
人よりもたくさん持てばしあわせになれるという思い込みがあって、人であれ物であれできるかぎり多くを手元に集めて支配下に置こうとする。自己中心は、生者の本能といってもよい。
しかしながら、自己の欲望を満たせば満たすほど、その支配下に置かれた人や物は反逆に転じる場合が多い。なぜなら、この世に送り出されたそもそもの願い(神願)と食い違うゆえである。
手元にどれだけ多くのものを持っているかではなくて、手元に預っているものをどれだけ神願にそって生かしているか。幸不幸の分かれ目はここにこそあると知らねばならない。
自分の持ち物だと思えば、どう使おうと勝手となるが、預かり物となれば、生かす責任を負うことになって、自分に生かす力を付けていくことが求められる。それも自分の手柄とするのでは、本当に生かしたことにならない。あくまでも神様のおかげで生かすご用にお使い頂いて、自らも生かされるのである。それを金光大神は、信心の徳「信徳」と言い表しておられるように拝する。(了)
(48)立教神伝
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