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<こ>心
 人間が他者とかかわる時に催す意識や情緒などの内面的な活動の総称。心は見ることも手に取ることもできないけれども、言葉あるいは表情・仕草・行為を通すことによって、見えるようになる。
 金光教祖金光大神の語った言葉の中に、「心」ほど頻繁に口にされた言葉は外にないと言ってよい。それは、天地のいのちがあって人間その他のいのちが生まれ生存できているという、生存にかかわるいのちの関係の再確認と結び直し、そこに金光大神自らの使命を見出していたからであろう。
 金光大神は、祈念祈祷に依存する伝統的な信仰形態に対して、めいめいの日常生活における心の動きを問題にし、心を改める修行を重視した。1873(明治6)年の天地書附にも、「おかげは和賀心にあり」と記されている。信心による助かりは心しだいとし、我欲の心を神に向け、心に神が生まれるようにと説いた。神に任せる心は「天地日月の心」、慈しみの心は「かわいいと思う心」。自己存在の意味を正しく把握できるのも、心によってこそであり、心無き物質の世界では、私が私であることの根拠を見出すことなどできないに違いない。天地という大きないのちに対して、人間は小天地だと押さえられ、助かり立ち行くことを願ってやまぬ天地の親神と応答関係を深めていくところに助かりのポイントを見ていると言えよう。金光教では、生神金光大神の取次ぎを頂いて、天地の親神に向かいお礼とおわびとお願いをくりかえしながら、神人関係を深めていく取り組みを「信心のけいこ」と呼んでいる。
 なお、いのちを拝む対象とした時に「霊魂」と呼ぶが、これは「心」とは異なり、個々のいのちの消長を越えて働き続けるものと考えられている。
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