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<お>おためし
 神様が個々に対してその信心の成長を願って課される試験のこと。
 人間、生きているかぎり、さまざまな出来事がついて回る。この世に生み出されたこと自体が大きな出来事であり、そこには、自分の意志を越えた神様の願いがあってのことにちがいない。天地の親神様は、いのちに対して<育ってくれよ>という願いを込めていて下さるのであり、その願いを受けて、自分をどこまでもどこまでも育てていきたいと願う時、どの出来事もが、この私を育てよう鍛えようとして、私に差し向けられたものと受け止められる。
 天地の願いを思わず、自分の都合だけで見ていけば、ハードルは低いほうがありがたいとなるだろう。それで楽はできるが、力は落ちる一方だ。どこまで本気に自分を育て高めていこうとしているのか、ハードルを高くしながら神様が私を試しておられる。
 事故とか病気とか不幸ばかりが<おためし>というわけではない。身を立て名を挙げ、幸運に恵まれても、そこからどう生きるのかと神様から問いかけられることは疑いのないところだからである。
 自らが取り組み発見した体験を書き綴っていけば、単におのれ一個の成長の記録というにとどまらず、人々を助かりへと導く手引ともなるはずである。(了)
(51)天地
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