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<て>天地
 天は父、地は母と教えられています。文字通りいのちを生み生かす、いのちの親なる「大いなるいのち」が宿るところであって、万物をあらしめる無限大にして根源的な世界を指すのであり、またそこは、いのちの帰する先でもあって、死後の安心を得ることができるゆえんでもあります。
 明治以降、欧米の思想を日本に取り入れるにあたって、ネイチャーの翻訳語として「自然」なる語を当てましたために、「自然」の意味が創造神の手になる被造物、引いては物質世界という意味を持つようになり、本来は天地と同じ意味であった「自然」が、科学的な操作の対象として扱われるものと理解されるようになりました。「世が開けてお日様のことを太陽というようになったけれど、お世話になればお礼を言わねばならぬ」という意味の教えを金光教祖金光大神が説いておられますが、単なる物質として見る科学的な見方を信心の立場から問題にしておられることが分かります。天地は、あくまでもご神体、拝む対象なのです。
 その神格を天地乃神と申し上げますが、人間に届く言葉を持たれないために、その願いを伝える術を見出せずにおられましたのが、金光大神を得てようやく道が付き、金光大神を人の世に差し向けて取次ぎ助けの業をなさしめ、その取次ぎの働きをなす神格を生神金光大神、取次ぎを通して現れる神を天地金乃神と申し上げることとされました。
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