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<や>八つ波のご紋 

 金光教のマーク。教祖が1867(慶応3)年に白川家に神職補任を願い出た時、<丸に金の字>の紋を用いることに別条なしとて使用の許しを受けたが、讃岐の金比羅宮のマークと同じなので変更を必要としたのかどうか、1881(明治14)年旧正月1日に「ご紋変え、八正金神、八つ割り」とのお知らせがあって現行の紋章に定まった。
 丸は宇宙を表し、金は金神・天地金乃神に由来する。現行の八つ波は、浅尾藩主から拝領した裃に蒔田(まいた)家の家紋である九曜紋【=下図】が付いていたところから、これに先の<丸に金字>を重ね合わせて出来たのではないかと推測されるが、天地金乃神の神威が八方にご進展になる様を表現していると拝してほぼ間違いないだろう。
九曜とは9つの星の輝きという意味.。七曜星(日・月・火・水・木・金・土)に羅(らご)」「計都(けつ)」の二星を加えたもの。後の二星は他の七星と逆の方向に進むので、これら九つの星の位置関係の変化によって、宇宙万物の消長が決まるとされる。星信仰(星占い)は、別名「妙見(みょうけん)信仰」とも呼ばれ、人々の運命を判断する術としても重宝されてきた。『九曜紋』を家紋とするのは、この星信仰と関係があると見てよいだろう。 
 九曜も図示すれば八角形であることはすぐ見てとれるが、陰陽道(元は中国の道教)の世界観は、全宇宙空間を八角形でとらえる宗教哲学に依拠している。宇宙の最高神(太一)を中央に置き、それが八宮(八卦)を循環することによって、万物が生成変化するのだという考え方は、あらゆる場面に反映されていて、伊勢神宮のご神体である鏡が八稜鏡であるのもその好例である。(詳しくは福永光司著「道教と日本文化」参照)
 陰陽道の思想が土着化俗信化して、金光大神の信仰生活にも深く影響を及ぼしていたことは、いうまでもない。たとえば、明治15年旧12月7日暮れに子(ね)の星様へ御礼申し上げたという記事が覚帳に見える。子の星とは北極星のこと。北極星は天空の中心に位置する星であるところから、宇宙の主宰神をこれに重ね合わして信仰する伝統が古くからある。
 八つ波の八という数字にこだわってみると、古代以来の人々の宇宙観世界観にまでつながるものがあって、大変おもしろい。
 因みに、1881(明治14)年旧正月1日のお知らせ「八正金神、八つ割り」は、「八将神にちなんで八つ割りにせよ」という意味か。八将神とは、方位の吉凶をつかさどる太歳(たいさい)・大将軍・大陰(だいおん)・歳刑(さいきょう)・歳破(さいは)・歳殺(さいせつ)・黄幡(おうばん)・豹尾(ひょうび)の八神のこと。八つ波ご紋誕生の時代状況を勘案すれば、金神のたたりを信じ恐れていた当時の人々にとって、八将神を制御する金神中の金神をイメージさせるに足る、非常にインパクトの強いご紋章であったかと思われる。八百八金神をはじめとして、とにかく八がよく出てくる。そういえば教祖の奥城の石柱も八角形である。四国の霊場が八十八箇所なのも偶然ではなく、陰陽道の世界観に立っていると考えるべきなのだろう。
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