(38)

<わ>分け霊
 ぶんれいともいう。
 人間として生まれたということは、すでにその内に神様の分霊を分け与えられ、神様の子として生まれ出てきているのであって、生まれながらにして神になる必要条件を例外なく備え持っていることを意味する。他の生き物と違って、人間だけはいのちの養いがあれば十分満足というわけにはいかない。生きる意味を求めてやまないところに人間の特性がある。そうした特性こそは、分け霊の存在を伺い知らしめるものである。
 生きる意味を求めて苦悩するところに人間らしさがあるとして、この世界に意味を与えるのは、人間ではない。なぜなら人間はいかに神の子といっても、世界全体をあらしめる根源的な存在ではありえないからである。天地の親なる神様の万物をあらしめ給う働きがあってこそ、この世に送り出された個々が意味なり使命なりを帯びた存在たりうるのであり、それを察知あるいは自覚できるのは一に分け霊の働きによる。
 近代化を推し進める過程で、人間の理性による理解を超えるものに対しては、未開の前時代的産物という烙印を押してこれを極力排除することに努めた。神も霊も人間世界の表舞台からは追いやられ、唯物論的世界観が支配するようになった。その結果、人間個々の存在価値は相対化されて、この私でなくてはならない理由をつかむことができず、生きることへのむなしさや孤立感が人々を捕らえ苦しめている。生きる目的をイデオロギーの実現あるいは他を支配する優位性の獲得等に見出す場合が多くあるが、それらは本来生きる上での手段にすぎないのであって、手段を目的の座に据え置く結果、人間そのものが手段化され、そのことが今日の深刻な問題を引き起こしてきていると思えてならない。
 いのちを大切にとか、かけがえのないいのちだとか、繰り返えされるお話のあとで、「なぜ人を殺してはいけないの?」と問われて答えに窮する場面が珍しくない。根拠を持たないまま言葉だけがあふれる、まことにむなしい状況を生きなければならなくなっている。神を見失い霊をないがしろにする者の行き着く先を見せつけられているように感じるのは、私だけであろうか。
(39)「寿命」へ

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