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<し>食物
 いのちの養い。動物のそれは餌(えさ)というが、人間のそれは「たまはりもの」が転じた「たべもの」という。食前には「いただきます」と唱えて手を合わせてから箸を取る。また、食後には「ご馳走さま」と、食事を調えるのに走り回ってくださったご苦労に対して謝辞を唱え、合掌して箸を置く。日本ではこうした伝統的作法が今も生きている。こうした作法によらず、腹をふくらませればよいということになれば、それは獣並みに餌を食したに留まり、食物を摂取したことにはならない道理である。
 山野の作物にしろ海川の獲物にしろ、天地のいのちがお養いになった生き物であり、これらを食べ物とすることで、いのちをつなぐことができている。だからこそ、賜ぶ物(たぶもの)なので、工場で加工されて大量に生産される現代の食品と呼ぶものも、原料にまで戻れば賜ぶ物に違いないのだけれど、食品にはいのちの生生しさが消し取られたあとの、物質あるいは栄養剤に近い感触しか持てない点が大変気がかりである。
 ほとんどの人が農業漁業あるいは狩猟を生活の業としていたかつての時代においては、天地への畏敬の念とともに、生き物に対する作法も自然受け継がれていくところがあった。今では、自ら直接手を下さない分、生きているいのちを奪うことに対する痛みも償いも顧慮する機会のないまま、食べ物も単に商品としてしか見ることができなくなっているのは、いのちの世界にとって不都合千万と言わざるをえない。事実、人間同士が殺し合ってしかも罪悪感を持ちがたいという深刻な事態に直面している。いのちに対する感受性を取り戻す機会としての食事を是非心に掛けていきたい。

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