(18)

<し>辛 抱

 一般的な意味では、辛い状態の中を耐え忍ぶこと。信心の上では、その間を自分磨きの好機ととらえて、積極的に意味づける。 

 かつて国民のほとんどが農業に従事し共同体の維持が個に優先していた時代にあっては、個人は辛抱する以外に、選択肢を持たなかったといってよい。ところが、産業革命を経て近代化が進み、今では個の自己実現に最大の価値を置くようになり、辛抱することはロス(無価値)だという気分が全体を覆うようになった。

 例えば、子供が熱を出したとしよう。よく効く薬を注射してもらうことで、すぐにも熱を下げようとする。このようにして、子供の発熱という問題でも、あまり手をかけないで短時間で解消することが可能となってきた。その裏返しとして、親子が一晩中氷を取り替えるなどの看護を通して、きずなを深めるというまたとない好機を失っている。

 家庭崩壊、クラス崩壊と、昨今報じられる崩壊現象は、辛抱に価値を見出さなくなったゆえに顕著になってきたのではないだろうか。欲望に踊らされ自己中心的な動きをしながら自己実現を図っても、自己を支えてくれている基盤をないがしろにする姿勢そのものが、孤立化を招き崩壊をもたらしているように思える。

金光教祖金光大神が勧める辛抱は、全体を優先させて個を押え込むためのそれではなく、全体の中に個が生き、個の中に全体が生きる、そのような良い関係を築く生き方、あいよかけよの生き方になる修行としての辛抱であったといえよう。おかげの入れ物がそのようにして整ってくることで、単なる自己満足ではない、自己にかかわるすべてが助かり立ち行くことになるのである。

(19)みたま

表紙へ戻る
TOPへ