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<こ>金神(こんじん)


暦のど真ん中に睨みをきかすような『金神』の文字が・・・

 暦神の一。古代中国の陰陽五行説では、金は方角として西方、季節として秋に配当され、死あるいは殺というイメージを担いました。我が国においても吉凶を司る陰陽道を通じて、この金神が広く人々の生活を律するようになりました。金神は、元来金星の精と言われ、日月星辰の運行に伴って遊行するとされたために、そのとどまっている方角を知り日柄を見てこれを避けることが不幸を免れる上に欠かせないとされてきました。数ある暦神の中でも金神はもっとも祟り性の強烈な神として恐れられ、金神七殺と言い習わされました。人生途上さまざまな不幸に出会うたびごとに、人々は金神のたたりではないかと、おののいたのです。病気災害から身を守る手立てに乏しく、災厄の原因を科学的に知りようもない時代であってみれば、たたり障りに敏感にならざるをえず、その分 金神も「○○金神」と呼ばれて多様化しました。あまりの種類の多さに、金光大神は「残らず金神様」と唱えて拝んでいたほどです。
 金光大神の生活に即して考えると、金神は土の精として受け止められていたのではないかと思われます。後に「神仏の宮寺社 氏子の家宅 みな金神の地所」という言葉が神様から伝えられます。

 そうした人々の心理を汲んで、金神との折衝にあたる仲介者が処々にいて、金神信仰を広げました。金神信仰は金神を忌避すること、つまり日柄方角を厳守することに尽きました。金光大神も始めは金神を恐れ禁忌を厳重に守る一人でありましたが、自身大患によって生死の境に追い込まれるに及んで、禁忌の一つも守り切れない凡夫であることに目覚め、そのことをひたすらわび、金神の赦しを受ける体験をしました。そこから、真実の神と人間の新たな関係が生まれ、従来「触らぬ神にたたりなし」とばかりに神を忌避して生きられるかのように思いなしてきた無礼千万なあり方を根底から改めることになりました。
 神は、人間にバチを与えるのでない、氏子の助かり立ち行くことをひたすら願って、育つように叱りもし試練をも与えなさるのである。この神にすがって助かる道を金光大神は自らの体験を通して人々に取次ぐようになられました。
 
 日柄方角を見るのは一にわが身を守るためで、神との関係でいえば敵対行為に外ならず、天地の親神の叱ってまで人間の成長を願われる親心を汲み取らない無礼な振る舞いでありました。むしろ親神に対しては、自分の見落とし不行届きを注意して下さいと頼んで、神とともによい足し合いに努め、人生の万般を取り進める、それが人も神も助かる道であるとの確信のもとに、取次ぎによる救済の道が開かれたのです。

 なお、金光大神は、その神を神と立て抜く信仰態度によって、金神の性格を一変せしめ、天地金乃神信仰に到達しましたが、人々が深く馴染んでいる金神の世界に降り立って教導したので、世間からはずっと金神祈祷者のように受け取られてきました。後々、鉄道の駅は金神駅、郵便局は金神郵便局と称せられたほどです。

<参考>金神が巡る法則については、古来諸説があって定まらないが、「こよみの読み方金神(42)」にいくつかの例を見ることが出来るので、ご参考まで。この「こよみの読み方金神(42)」に、出口なおの立てた宗教を大本教というのは誤であって、正しくは大本。
(17)忌み穢れ

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