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<か>神
 日本人にとって、「目には見えないけれども霊妙な働きをする存在」はみな神であり、我々の先人達は、山にも海にも、火にも土にも、はたまた言葉にも、万物一切に神が宿っていると考えた。生き物に宿る霊魂や死者の霊魂も神であり、先祖の霊神を祭ることで、連綿として続くいのちの流れの中にわが生を位置付け、自らの霊魂の落ち着き先を了解するという祖先信仰が、代々受け継がれてきた。自然物ばかりではなく、機械や製品にも霊魂を吹き込み、それら諸霊諸神の加護を受けて幸福を実現できるように祈願するのを常とした。
 飛鳥時代以降、仏教を受容するにあたっても、また明治時代以降、合理主義の洗礼を受けても、このような信仰的土壌は衰えることなく、むしろ仏も神の一種として位置付け、また近代科学の粋を集めた建築や乗り物のお祓いも入念にするなど、その時代を生きる人々の求めに応じて、神々の活躍の場と機能に新たな局面を加えつつ今日に至っていると言えるように思う。(明治中央集権国家は、この信仰的土壌を政治の上にうまく活用し、天皇という新しい神を立て、これへの信仰を強要することで体制を強固なものにすることができたのであった。)
 このような信仰的土壌は、民間信仰と呼ばれるごとく、特定の教団メンバーだけで共有されるのと違って、広く民衆の生活習慣と一体化した形で伝承され、中国から渡来した陰陽五行の思想に基づく陰陽道などとも習合しながら、日本人の生活を支えあるいは律した。時代とともに新たに出現する神々の中でも、金神は日柄方位の禁忌にかかわって『たたる神』として、不幸災厄に見舞われるたびに、人々によって強く意識されるようになった。
 金光教祖金光大神も不幸の原因を金神のたたりに求めた一人であったが、たたるほどの威力を持つ神なら助けてもくれようとの思いで、一心にすがっていくうちに、神の本性は人間をわが子として助け立ち行かせるところにあると分からされ、ここに天地万物の根源たる神、神の中の神としての天地金乃神が、金光大神によって新たに世に現されることになった。
 今日なお人間は自らの欲望に応えてくれる新しい神を誕生させつつあるが、世界の中心に人間がすわってその欲望を達成するために神々をも動員するという構図は、万物を成り立たしめる根源の神にとって、遺憾千万な事態といわなくてはならない。取次ぎの神である生神金光大神によって、その構図を逆転せしめ、天地金乃神の願いをこの世に実現する人間の誕生を目指す営み(取次ぎ)が1859年から始められ、今年(2010年)ようやく151年を数えるに至ったところである。

<付録>漢字教室 [かみ編] 


 示は、神を祭る際に用いる捧げ物を載せる台の形。申は、∈|∋稲妻が走る様を形どる。(電の下半分と同じ。)天神地祇という通り、「神」の字はもともと天の神を表した。日本でも雷鳴を「かみなり」というとおり、雷神がもっともよく人間の耳目を驚かす神であったことから、ご幣や玉串の紙手に稲妻形を採用しているのと相通じて、漢字にも稲妻形が取り入れられたものであろう。


 示は、神を祭る際に用いる捧げ物を載せる台の形。氏は、諸説あるが、∈に|で崖の形、あるいは地面の下に根がはえ上にひこばえが伸び出る形。あわせて地の神を指す。
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