金光教の紹介

〜天地に根ざして、自分も人も助かる道〜 

金光教の祖金光大神(もとの赤沢文治1814〜1883)は、日本における宗教改革を成し遂げた、極めて特異な存在であると評価する宗教学者が少なくありません。
 もちろん、宗教家になろうとか、一派を立てようとか、そのような意図とは全くの無縁で、その日常生活が神の願いを具現するものにまで至った、つまり信心がそのまま生活となり、生活がそのまま信心となって、そこに触れる人々をその魅力に巻き込んでいったという格好のものなのでありましょう。それがおのずと伝統的な宗教を打ち破るまでになったのは、権力支配になじんだ既成の宗教とは違う、この世界を成り立たせる根源の神によるところからのものでありました。

日柄方角のように 生活をこまごまと規制するルールをこしらえ、たたる神を避け家運の向上に心を砕く、金光大神も当初は一農民として、人一倍生き残りに情熱を燃やした人でありました。それが経済的には再興を果たしながらも、家族や飼い牛のいのちは相次いで失せるという不幸が相続き、さらには自身が九死一生の大患に罹って気付かされたことは、いのちは人間の手にあるものではなく、天地のいのちから生み出されて、その恩恵の中で育まれてあるもの、欲得に任せてどれほど人間がこしらえた価値や仕組みをわが手中に収めても、あるいは人と同等の生活を実現しても、それが天地に根差していない限り、真の安心を保障されはしないのだということでした。

天地に根差すいのち本来のあり方を求めて、金光大神はその後半生を「求道と人助け」に捧げました。
 
 「求道」は天地の親神の願いを聴き受けその実現に努めることであり、その具体的な動きが人を助ける、つまり「天地に根差した生き方に導くこと」であり、それが同時に親神を助けることになるのだと、確信されるに至ったのです。金光大神が神前に端座して取次ぎに従ったのは、上述の確信に基づくのであって、それが肉体を失った後もなお続けられる人助けであり、金光大神来てくれと言えばどこへでも来て誰の口を通してでも人を助けることを、自ら証明しつつ今日に至っておられます。

では「天地に根差す生活」とは、どういうものでしょうか。

 朝目が覚めた時に、いのちを頂いたことを感謝します。同時にお土地が鎮まっていて下さることをお礼申します。そのように心を天地に向けると、天地から「天地に根差した生活をしっかり頼むぞ」と願われている声がわが内に響いてきます。
 このようにして一日の生活を進めていくと、自分の欲得だけに駆られた生き残りのための動きは影をひそめ、「放っておけん」と思し召す天地の親神の神心を現す動きが表に出て来るようになります。これが「天地に根ざす生活」で、神人(かみひと)の道の実践とも言われる、神様と二人三脚の生活です。毎日が、神の願いを受け取る感受性に磨きをかけて、その願いに沿っていく練習であって、生きている間にこれで完成といえる時は来ないと金光大神は仰せになっています。

いのちは人間のこしらえた規格によって差別されてはならず、天地の親神から託された役目を負って生み出されたものゆえ、最大限その可能性を発揮できるように完全燃焼を目指して出会い、触発し合っていかなくては、人間の務めを果たしたことにならないのです。

天地がいのちに込めている可能性は、創造ということに尽きるかと思います。
いのちの特性は、時々刻々の創造にあると考えられます。異質多様ないのちのあり方は、その触発によって生まれる新たないのちに象徴されるごとく、生き残る上においても欠かせない営みであります。それを人間の都合で排除したり抹殺したりするのは、天地に対して背反する行為であり、偏食がいのちを危うくするように、難儀な結末を迎えることになるも道理としなければなりません。

お互いのいのちの真相を観察すれば、新陳代謝一つに絞ってみても、いのちが天地に根差していることは明らかに知れます。私たちの体の60%も占める「水」は、この天地のおおいなる循環の働きの中の一部分であり、体から出たものがまた巡り巡って体に入れることができる、この天地の働きなくしてはいのちは成り立ちません。ニュートンが引力を発見したのと同様に、万人の生存する上に例外なく働いている道理を金光大神が取り次いで下さっているのでありまして、非合理な神話の類ではありません。この天地の恩恵に気付いたからは、まっすぐそれと向き合ってお礼を言い、天地の願いに応えていく練習に励むだけです。天地の親神を発見しその関係を結び直して神人ともに立ち行く道を開き下さった金光大神の導きのままに、歴代鹿ケ谷教会長がそれぞれ苦難の中にもここまで歩み来て、今いよいよ万人の助かり立ち行く(たとえば障碍物を敵にせず自分磨きのための応援団にしてしまうといった具合に、すべてを生かす)道を伝えていくお役目を果たしていきたいと願っています。

人をいかなる場面であれ支配被支配の関係に置くのは、神様の願われる創造を著しく妨げるのであって、宗教が権力となじまないことを、金光大神は「水を下から上に流す」たとえで語っています。強い者が弱い者を支配する悪い関係から脱して、お世話になってお礼をいうよい関係に向かうように努めるのが、信心の要めであります。

心を改めよという教えが繰り返し説かれますが、よい心はよい関係に宿ります。いかなる事態の中にあっても、天地の親神の親心「放っておけん」をそのままわが身に体して、他者との触発を重ね創造に参画しながら、神心の実現にお使い回し頂きたいと願っています。

このような私たちの取り組みに賛同し、それぞれの家庭・社会生活で、天地に根差した自分育てと人助けの生き方の仲間入りをして下さる方が相次いで現れて下さることを願っています。                                                        

〜「金光教」の名前の由来について〜

 金光教祖の時代、各家庭に配布された暦(明治6年改暦以前の陰暦)の真中に「金神」という神名が大書してあり、この金神こそは、「触らぬ神に祟りなし」という諺が生まれたくらい、恐れられた「たたる神様」であり、民衆にとって犯しがたいもっともインパクトのある神様でした。金光教祖も金神信仰に深くかかわる中から、その生き方を問い求め、決してたたる神ではなくむしろ慈愛に満ちた万物を成り立たす根源としての天地金乃神にたどり着いたという信仰経歴をもっています。
 
 後年、教祖は金光の意味を説いて「金、光るということ。金は金乃神、光は天つ日の光である。世界中へ金乃神の光を光らせておかげを受けさせるということである。」といっていますが、金色堂や金閣のようにGOLDには人目を引く力がある上に、金神との関係で一般に人目を驚かすネーミングであったことは想像にかたくありません。今では、鬼門・裏鬼門の禁忌もさほど気にしない時代になって、金神の影もすっかり薄れてしまい、金光とあれば真っ先にMONEYを思い浮かべてしまうことになっています。そういう誤解も何かの機縁となって、人が助かる道に導かれれば、何も問題にするに及ばないというのが、神様のお心であろうと拝察します。
 
 そもそも金神は中国に由来するので、その名前は五行思想(この世界は木火土金水の五要素で成り立つという説)と関係があって、金曜日という時にGOLDと結びつけて考えないのと同じく、むしろ西の方角(災厄・異民族がやってくる)、秋の季節(枯れ落ちる)に結び付けて、「秋風愁殺」というイメージが喚起されたと考えられます。                                               文責 二代教会長 金光教教師 松村眞治