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<ま>祭り
 一連の宗教的儀礼をもって組み立てられた儀式。教会においては、「月例祭」=小祭から「元日祭」「春秋霊祭」「上半期感謝祭」「布教功労者報徳祭」「越年祭」=中祭、年毎の「天地金乃神大祭」「生神金光大神大祭」=大祭まで、各信奉者の自宅においては随時「宅祭」と称して、いずれにしても神殿・霊殿において執り行われます。その規模は一様でないにしても、金光教の「神人の道」という信仰思想を形に表したものであって、神の恵みに感謝する心を込め、改まった気持ちでこの日を迎えることが何よりも大事とされ、「無言の取次ぎ」ともいわれます。定められた様式を厳格に守って執行するところに意味があるといえるでしょう。
 日常の生活が神のおかげによることを信じて止まない人々にとっては、祭りの日こそが主で、その日のために日常が営まれると考えているに違いありません。そのように理解するほかない動きが至るところに見られます。つまり祭りは神様が主催されるので、そこへ招かれる幸福に酔いしれるような至福の時間(儀式の後の直会という神様と人との饗宴も含めて)なのです。神様に喜んで受け取って頂くことにすべてを優先し集中します。したがって、普段は仲たがいしている間柄の人も、祭りに参加することで同じ神の子同士という関係に結び直されることもできてきます。
 金光教祖金光大神の広前では、9月21日22日を天地金乃神の祭り日、9月9日10日を金光大神の祭り日として、広前の内外に幟や提灯を飾ることはあったようですが、祭典儀式は行われていませんでした。ご恩を忘れないための法事のようなものだと教えておられます。1885(明治18)年に神道金光教会として組織化が成り公認されるに際して儀式を取り入れ祭りが執行されるようになりました。当時、日常的な布教活動に厳しい制限がある中で、日を決めて行う祭典は布教活動として都合がよかったのではないかと思われます。
 神社の祭りは、神職による神事が密やかに行われ、その周辺部分として氏子による祭礼がにぎやかに行われるのが一般的ですが、金光教の祭りは取次ぎを儀式化したもので、信徒が参加しない神事というのはありません。
 金光教の信心は生活をあげて信心化するところに目標があり、特定の祭り日だけを重視するものではありませんが、定められた日時つまり神様のご都合に合わせていく練習が重要であるので、そこはハードルを下げないように気をつけて願いを込めることに努めていきましょう。

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