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<う>生まれ変わり
 信心が進むことによって神人の関係が結び直されて、再生すること。
 佛教が説く輪廻の思想によれば、生き返り死に返り、代を経て別の生き物に再生すると考えるので、誰それは何某の生まれ変わりだと言ったりしますが、金光教に輪廻という考えはありません。
 金光教粗金光大神の覚帳には、その筋から布教を差し止められて神前を撤去した直後、明治6年旧2月15日の項に「金光生まれ変わり。10か年ぶり風呂に入ることおさし許しくだされ。生まれ日改め。」と見えます。この時、神願成就のため人を取次ぎ助けるために差し向けられた私という新たな自覚に立ち至り、干支も戌の生まれから酉の生まれに変わり、天地書附と取次ぎの座の確定など、従来の在りようを一新して、新たないのちを生きることになられました。
 従前通りのことができなくなった時、神も仏もあるものかと悲嘆に暮れるのは、生まれ変わりを願っておられる親神のお心が分からず、自分の都合ばかりを考えているからで、状況が変化したことから自分自身の役目も新たな段階を迎えたのかもしれないと考えて、一層親神の願いに添うべく努めていきたいものです。
 新たなメンバーが加わることになった場面で、新参者にのみ変われと迫り自らは先住民であることを盾に変わろうとしないことがまかり通っていますが、これも親神の願いに背く振舞です。新たな状況の出現を、自らの生まれ変わりの好機にしていくところに、信心の道が立つと信じます。

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