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<さ>差し向け
 天地の親神がいのちの存続と人間の成長を願ってこの世界に差し遣わされることまたはそのもの。
 人間は、自分の好悪や利害を物差しにして選り好みをしますが、食物の摂取を例にとれば容易に了解できる通り、偏食はいのちの存続を危うくします。良薬は口に苦くても、それを差し向けられる親心を憎み拒むのでは、親も子も助かりようがありません。わが子に辛酸を体験させざるを得ない止むに止まれぬ親心を親心として受け止めて、親子して成熟を目指して助かりの道を進みたいと天地の親神が願われるところから、やがて取次の神=生神金光大神をお差し向けになり、「願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ」末々助かり立ち行くようになさいました。
 金光教独自の救済は、この生神金光大神取次によって実現せられます。「来てくれというところへは、いつどこへでも行ってやる」という金光大神の御約束が実現するためには、先ずは願う氏子になることが肝心です。願う氏子と親神の間が取次ぎによって結ばれ、神の願いが通うことになって、人間のみならず万物の上にこの世に在らしめられる意味が生れてきます。人間は生神金光大神取次の働きを受けて、親神によってこの世に差し向けられた私という自覚に立ち至り、神願の実現のため、自他の助かりのために、捧げて生きる道を歩むことができるようになるのです。

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