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<い>慰霊祭
 死者の霊を弔うお祭り。
 日本では、御霊(ごりょう)信仰と呼ばれますが、死者の霊、とりわけこの世に無念を残した怨霊(おんりょう)を祀らなければ、たたり・さわりによって災厄を招くと信じられてきました。この伝統を受け継ぐ形で今も慰霊祭を執り行っているのかどうか、問い直すところから取り掛かる必要があると考えます。実際問題として、死者に対して「静かにお鎮まり下さい」と慰撫する目的でお祭りをしたとして、果たして死者との関係はそれで満足できるものになるでしょうか。
 あるいはまた、死者の霊がより一層 神・仏に近く引き上げられるために追善供養をするのが、遺族の責務だと一般に信じられてきたことも否定できません。いずれも人間世界の取引き的な考えで覆われているところが問題であると思います。
 金光教の死生観からすれば、人間は生死を超えて共に天地の間に神様のおかげを受けて生きて働き合うのであってみれば、死者と生者の絆=世話になり合う関係そのものは死を境にしてなお変わるところがないのであって、神様のおかげを受けて更に更に関係を深化させ、報恩の真を捧げていくところに、慰霊祭の本当の意義を見出していきたいと願う次第です。具体的には、目に見えない霊様となって今も願い続けて下さっているところを頂き直すこと。生前よりも死後において、よりはっきりと願いの核心部分を受け取ることもできてきますから、願いを聴かせて頂きたいという思いで向うことが大事なのであります。
 心を一つにして願いの実現に向けて努力していくことが、すなわち共に生きることであり、その方向なり中身なりを折々に確認することができるよう、式年祭を意義あらしめていくことも、大切な御用であります。以上述べたような本教の立場からすると、慰霊祭というよりも、霊神祭と称するのが妥当かと考えます。

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