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<せ>生誕
 誕生と同じ意味であるが、ニュアンスとして歴史上の人物について用いるなど、誕生よりは重々しい感じがある。
 2014(平成26)年は、金光教祖生誕200年です。ほとんどの宗祖教祖は、誕生の時点ですでに特殊な使命を帯びた存在としてこの世に現われたとされます。それに比して、金光教祖の場合は、ごく普通の農家の次男として誕生し、特別な存在ではなかったことは、人間誰でもその生まれに関係なく、信心さえすれば神の働きを表すまでにおかげを受けられることを示すものです。
 このような事情から、金光教祖の場合は、生誕には重きを置かないで、家業を止めて取次に専念せられた時点、あるいは現世での行を終えて神上がりせられた時点、を重要視してきています。ちなみに、2013(平成25)年は教祖130年の節年でありました。
 

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