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<し>信忠孝一本の道
 明治憲法下で打ち出された金光教の対外的自己表現。金光教は、神を信ずることと、天皇に忠義を尽くすことと、親に孝行することとが相矛盾しない道であるという。
 明治政府は日露戦争後、過激思想の取り締まりに腐心し、家族国家観による国民教化を図るため、宗教の感化力に着眼、日本の三教(神道、仏教、キリスト教)を説得し、1912(明治45)年2月25日に三教会同を実現した。この席上、金光教が打ち出したのが「信忠孝一本の道」という自己認識であった。いうところは、政府が求める国家像=現人神なる天皇を家長とした家族と見立てる国家像に立脚すれば、信忠孝が一本となるのであって、金光大神の信仰から導かれる教義とはいえなかった。金光大神はむしろ、天皇も人間であることをいい、神の下に生み出された人間や国家が神を支配することに異議を申し立てている。要するに、当時の日本の宗教がみなそうであったように、国家の基準に合わせて公認を受けていたところから、時の政府が求める国家像と相入れない独自の宗教世界からの関係図なり構造図を描くことを自ら放棄したことを物語っている。
 

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