(79)               
<ひ>引き受け
 神願の実現に向けて自らの使命を自覚しその使命に奉仕すること。
 天地は刻々創造に生きている一大生命であって、個々のいのちもその内容として生きているというのが、金光教の世界観であります。とかく全体のために個を犠牲にする滅私奉公を説く教説が多くみられる中、金光教は育私奉公であり、犠牲を生まないところに特色があるといえます。
 育私つまり自分育ては、何よりも異質なものとの出会いを必要とし、その出会いを通じて創造を実現します。世間では、障碍を引き受けた者が規格外れと見なされて著しく差別されるなど、往々にして異質であることが被害者意識に直結しがちですが、他者にも自分自身にもある異質性に、より大きい創造への可能性を見出していくことが必要なのです。
 金光大神は、手の五本の指を例にとって、みな違うので一つの仕事ができると教えています。それぞれの違いに磨きをかけてそれを個性にまで高め、創造の営みに奉仕していくことによって、神も助かり人も立ち行く道が実現してくるのです。
 非力さゆえに人間は責任を背負いきることはできませんが、人生の各時期に新たな役目を引き受けることで成長をとげていくように仕組まれています。そこで楽な方に逃げ込んでわが自由を盾に、課せられた役目を引き受けなければ成長も果たせず天地全体としての創造活動も縮小して、寂しい結果に終わるほかないことになりましょう。引き受けの練習に怠りなく努めることが願われるゆえんです。

TOPへ