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<か>神様持ち
 人間の生存が天地という巨大な保育器に依存する形で可能になっていて、生死一切が人間の力で自由にならないことを言い表すことば。
 神を創造主とする西欧の思想では、この世の出来事は神の意思によって行われる必然だとするが、戦争のように人間が企てることと神の意思とはどう関係するのか、原罪によるといわれても理解がつきにくい。その点、神様持ちというのは、いのちが成り立っている現実の姿を見てそれを可能ならしめている働きに注目しているのであって、個々のいのちが利害を争い戦争に向かうのも神の支え無くしてはありえないことながら、戦争に突入しさらには勝って支配権を手に入れようとも、それがいのちの生みの親たる神の意思であるとは決めてかかるわけにいかない。
 そもそも他者を自分の好みや価値観で選別し不都合と見れば排斥撲滅する行為は、神の内容を小さくする無礼そのものであって、自他が共に立ち行くようにと生かし合う関係を目指してこそ、丸抱えにして生かし給う天地という保育器の働きが最大限発揮されるのである。「ここに神が生まれる」「神が助かる」と表現されるのは、神がいのち全体の立ち行きを願い、さらにはいのちの生々発展を願ってやまれないからである。その願いの実現のために、異分子も異質なる存在もみな一定の役目を担って差し向けられているのであって、これを自分の存在を脅かす敵と見て抹殺すべしというのでは、親神の心を踏みにじる以外の何ものでもない。
 天地の親神様の願われるままに生かされて生きているとは言いながら、人間の担う部分が軽いわけではない。むしろ、「人間あっての神、神あっての人間」と仰せになっているように、神の願いを受け止め実現する大役を負った「神の子」として重要な位置付けを与えられ、その自覚に立てと願われているのである。

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