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<し>新霊神
 「あらみたま」ともいう。死後まだ日数を経ていない御霊のことで、五十日目(あるいは三十日目)頃に先祖の霊と合祀するまで、仮の霊舎を設けて奉斎しその霊前では日々「新霊神拝詞」を唱える。
 世俗的には、死のけがれを忌むところから、あるいは哀悼の感情に沈潜する意味で、忌中あるいは喪中と称して、一定期間社会的な交際を断ってこもる習慣が伝統としてあります。仏教的な解釈では、死後成仏するまでの宙ぶらりんの状態の期間を四十九日といい、死者がこの世に未練を残すことなく迷わず成仏するように供養に勤めることが遺族には求められています。金光教では、死についてけがれを言わないし、霊魂と肉体が分離して天地に帰るのであると説き、金光教祖は「霊を大切にせよ」と教えていますが、霊は天地の大いなるいのちに帰一して、神となると考えられます。遺された者は、死者を霊神として大切にする向かい方を通して、わがいのちの成り立つ元にわが心を根差すことができるのであります。
 生から死への変化は、生物学的にはその前後で明確な断絶がもたらされるように見えますが、とりまく人間関係の上からは死後もなお生きて働き続けて果てることなく、その関係を深めていくことさえできてくることを否定できません。忌中喪中と呼ばれる時間について、世間流では「もう死んで居ないのだから」と、死者との関係の切断を受け入れるための期間だと理解する方向にあるとしても、金光教祖の取り次ぐ助かりの世界からは、死後もなお関係を断つことなく耕し深めて死者の願いを共有しあるいはその実現をめざして協働していく、そうした新たな歩みをスタートするための準備期間という位置づけを与えられているといえましょう。
 何教式で祀るかという形式の違いを問題にする以上に、死者と自分とがどういう関係を結んでいけば助かることになるのか、世間流でよしとせず、今一度問い直していく必要があります。

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