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<か>神人(かみひと)あいよかけよの生活運動              

 2012(平成24)年年頭にスタートした信心運動。           
 金光教では、戦後「御取次成就信心生活運動」を発足させて以来、信心運動を継続展開してきています。ねらいは信奉者の意識改革を目指すところにあります。
 明治中期、教団を組織しその公認を得て以来、国家の統制下で国民教化の一翼を担ってご奉公に努め、宗教界の優等生との評価を受けるに至りました。戦後信教自由の時代となって、金光教は何を実現しようとするのか、確認を迫られる事態となり、御取次を頂いて日常生活が信心になるように努めることを申し合わせました。数ある問題の中でも分けて人間関係の上におかげを頂こうという課題設定は、戦後の個人主義を見据えた一つの見識でありました。               
 そもそもあいよかけよと表現される助かりの姿は、新陳代謝に代表されるかかわりの中でこそ成り立ついのちの真相を踏まえたものであり、そして出会いによって化学反応にも似た創造と自己変革をもたらすいのちの特性に着目するものであります。                                   
 1975(昭和50年)以降、内向きから外向きへ布教を課題とした運動を経て、「あいよかけよの生活運動」に至ったのですが、取次ぎを頂いて終わるのではなく、世間流の尺度から出て金光大神流の尺度をもって日々の生活を進め、「われひと共に助かる道」 を歩む練習に取り組みました。               
 わざわざ信心運動をという理由は、すでにあるものに寄りかかって、そこからの進歩発展を怠りがちな、お互いの内なる問題。たとえば内向き・孤立に流れて、問題を見ようとしない傾向などを克服したいがために外なりません。「この道で世界を包み回わす」という神の願いを実現するために、どこをどう改めネットワークを広げていくか。そういう問題意識を持って信心の目を開く。つまり各自が自分なりの課題を発見し成長への願いを立て直す。その一歩を促す意味がこの運動にはあります。                                  
 とかく永遠の運動はマンネリ化します。受身でなく自ら取次ぎ願い人を祈るという積極性をポイントにし、しかも中心軸をあくまで神と人の関係に置くところから、このたび「神人あいよかけよの生活運動」がスタートしたのです。      

 

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