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<さ>祭典
 金光教の現行祭典は、特別の服装(装束)を身に付けた祭員が祭式次第にのっとって祭詞を奏上し、玉串を奉奠し、参拝者一同が拝詞を奉唱する。祭典用の音楽(典楽)を奏し、また吉備舞を奉納する場合がある。
 一般にお祭りと言い習わしているが、現代では神社の祭礼も俗化してショーに近くなり、さらに営業に取り入れられると人を大勢集めてにぎやかにするイメージになっている。もともと、神の臨場を仰いで神と人が共同して言葉を発し歌い踊り食事もして、非日常の体験を通して生命力をリフレッシュする行事である。
 金光教では「祭典は無言の取次ぎである」と言われてきた。教会広前における恒例の祭典としては、月例祭、霊神祭、天地金乃神大祭、生神金光大神大祭、元旦祭、越年祭、などがあるが、定められた日・時刻に合わせて神前に参拝し、神様の時間を共にする中で、自分の根付くところに心を寄せ 神の目で自己を見つめる練習をすることになる。つまり祭典は人間の行いではなくて、神の行いに人間が参加する。そして同信間の仲間意識を育成し連帯意識を深める。そのような意義を指摘することができる。したがって、時代とともに改革されなくてはならない祭典ではあっても、人間の利便性が図られるのでは間違ってしまうので、むしろ神様に出会うためにハードルをより高くすることも必要になる。
 ちなみに、教祖広前ではご縁日と称して、月々に定まった日に はたを立て生やすなど内外に装飾を施して普段とはちがうハレの雰囲気を作っていたやに伺われるが、祭典儀式が執行されることはなかったという。教団組織を形成し公認を得る段階(明治18年)で各種の儀式が神道式に習って取り入れられ、教祖百年祭(昭和58年)にあたって儀式・服制・拝詞の全面改正を行って神道色を払拭するまで、修祓を伴う祭典儀式を受け継ぎ執行してきた。
 

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