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<か>かわいい
 「ほっておけない」「世話をしてあげたい」という心持ちを表す語。例をあげれば、金光教祖御理解8に「不信心者ほど神はかわいい」と見えます。
 現代では「愛らしい」という意味で使われるが、岡山方言では古語「かはゆし」の持つ広い意味が今も保持されているものと解されます。
 親が子にかける思いは、出来のよくない子ほどかわいいところに、深い意味があるので、神様が人間をわが子と抱きかかえて願いをかけておられるのも、これと同じ。不信心な者ほどほっておけなくて、何とか信心して立ち行くようにと、その者の上を願わずにはいられない。この親心をよく合点せよと仰せになっているのだと拝します。
 教えに「不信心者ほど神はかわいい」とあるのを見て、不信心者である方がかわいがられるのかと、尋ねてきた人がいたのには驚かされました。子どもがかわいいからといって、子どものままでいてほしいと望む親がどこにいましょうか。立派に成長してくれよと願うのが親の心です。
 金光教教典用語辞典では、「方言。かわいそうの意」としています。神様の人間に対する情を言い当てるのに「かわいそう」という憐憫の情だけをもってくるのは、両者の関係をかえってテレビの映像を見て思う程度のものにしてしまわないか、気にかかります。子のことが気にかかって仕方がない、この親の心は「何とか助かり立ち行きますように」という祈りそのものであり、「そのためにならできることは何でもしますから」とわが身に引き受ける覚悟までを含むものとして読み取ることがいると思えるからです。まさしく「ほっておけない」の一語に尽きます。
 この神心・親心が天地に満ち満ちているおかげで、人間は非力極まりなくあるいは逆に傲慢千万な存在にもかかわらず、見放されることなく抱え込まれて、今も生きていけるのです。この道理を知らせ伝える取次ぎもまた、神心を体現する営みにほかなりません。

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