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<じ>時節
 物事が成就するのにふさわしい時。
 いのちが誕生する時を例にとれば、人間の場合、胎児が母体の外に出てもよい時期を迎えるのに10ヶ月余りを必要とするが、胎児の発育の具合や母体の調子、迎える側の環境も含めて、いつが一番よい時なのかは、人間の能力をもって計算し尽せるものではない。神様にお願い申しながら、この時という特別あつらえの時を差し向けて頂くしかない。御時節と言い習わすゆえんである。
 とかく横並びになっていないと落ち着かないのが大方で、生まれた子が2歳近くなってまだ立ち上がれないとなると、親としては心配で、いろいろ検査をしてもらって遅れの原因も突き止めてはもらうものの、どうすれば追いつけるか、これは誰にも分からない。ただ、いのちは昨日よりは今日、今日よりは明日と、能力を高め発達する可能性に満ちているのであって、その速度に速いか遅いかの違いがあるのは、これまたどうしようもない。準備が整えば次のステップへ踏み出していくのであるから、それこそ一番よい時に一番よい形で実現していくように、お願い申して神様からの応答を頂くしかない。神様の責任において生み出された者として、どこまでも神様に責任をとって頂くという向かい方が道理に叶うことは、疑いを差し挟む余地のないところである。
 いのちの世界では、過ぎ行く時間は単に流れ去るのでなく、物事の熟し行く時間であって、どれほどの時間が費やされようとも、願いが成就するのに必要な時間として意味を持つのである。そのような意味を見失わずに持ち続ける努力が信心辛抱であって、神の働きを受けつつ願い成就に取り組む修行の大切な中身である。
辛抱

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