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<き>教義
 宗教教団が成立するための要素の一つ。個々の具体的な問題に対して示された教えを貫いてその根底に流れる、世界観や神観人間観、死生観や救済観、信仰に救われた者の使命などを体系的に組み立て示したもの。普遍化される前の個性的な特色ある教えは、教説という。
 教義が形成されるということは、信仰が思想としてまとめられ、表現されることを意味し、対峙する社会と切り結ぶ経験が前提になっている。つまり教義は世界布教を志す時に欠かせない武器となるのである。その時代を生きる人間のどういう問題をとらえて答えていくか、それは終わる時なく継続し続けなくてはならない営みであって、もしある時点での教義が絶対とされてしまえば、それを問い直すことが罪となって、その罪を犯した異端者は激しく攻撃され排除されるに至る。
 その点、金光教ではそういった原理主義(ある時点での教義の絶対視)は成立しえない。「あいよかけよで立ち行く」という関係の深化に救済を見出す教義からして、どのような釘付けもゆるされないからである。いのちのあり方が現にそうである以上、いかに正義を振りかざそうとも、それは人間のこしらえたものに過ぎず、とうていいのちを根本から支え救うことにならないというのが、金光教の立場である。
 このような金光教の立場を批判攻撃して、「金光教はいい加減だ」と言い立てる勢力が跡を絶たないが、強固な(教義と言う名の)ヨロイ・カブトに身を包むことがどれほど人間の助かりの邪魔をしてきたことか。宗教教団のエゴイズムから解放されるためにも、金光教の立場がさらに広く理解されるように、努力していくことが、お役に立つ中身としてますます自覚されてよいと思われる。

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