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<う>生まれ変わり
 古い自己が崩壊して新しい自己に再生すること。
 自分がこの世に送り出されてきた意味や使命を新たに自覚させらる信仰的な覚醒(めざめ)を経て、再生した時のその新しい自己。死んで霊神となることをも含む。
 人間社会の一員として生きているかぎり、その社会が共有する価値観に一度は染められるのであるが、その尺度を自己に当てはめて見た時に、社会からお前は規格外れであると認定されるような体験を持つに至る場合は、それから先の人生が大変息苦しいものになる。多くの宗教は、そうなる原因をその個人及びその周辺の罪ゆえだとして、罪障消滅のための修行生活を勧めるのを常とした。
 金光教祖金光大神も養家の没落と7墓築く不幸に出遭って、自己の身に知り難いめぐり(罪障)のつきまとっていることを自覚させられていたが、安政6年九死一生の大患を経て、天地の親神はなおもそのめぐり深い身を抱え込んで生かし下さることを分からされ、ここにおいて社会の規格からむしろ離れた「いのちの世界」に身を置く人生を歩むに至った。たとえて言えば、生地に生じたシミを抜いて世間の規格に合った普通の生地に戻るのでなく、シミをも絵模様として受け入れる、生地としては規格外の「いのちの世界」に根差すあり方を求めるものであった。
 還暦を迎えた明治6年、「金光、生まれ変わり、十か年ぶりに風呂に入ることおさし許しくだされ。生まれ日改め」と神からお知らせがあったことが覚帳に記されている。この時は官憲の取り締まりに遭って布教を差し止められた直後のことである。従来の救済にかかわる所作や様式が一旦白紙に戻されて、新たに救済者として差し向けられる再生誕生の時を迎えたことが知られる。この沐浴は、そうした生まれ変わりに際しての産湯として意味付けられうる。

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