(64)
<せ>生活即信心
 生活を成り立たしめる働きに心を寄せていくことが、そのまま信心になるという意味。信心のイメージを日常的なるものへ切り替えようとして打ち出されたスローガン。
 日常生活は、同じことの繰り返しという面が強くあります。日に三度の食事をとり、夜は眠るという、基本の部分は人類共通のものといってよいでしょう。日本でこうした日常の習慣が全国規模で共有されたのは、明治になって官庁や工場に勤務しあるいは学校に通って、さらには軍隊に入隊して、国民の多くが集団行動の訓練を受けるようになってからだといわれます。その社会に都合よく適応させられてきたことは否めません。
 かつて農民がほとんどであった時代は、天地のリズムにあわせて生活をすることが基本でありました。生産者ですから、収穫の一定量を次年の生産の資本として蓄えおくという習性も身に備えていました。何よりも協働が生活の基本でした。農民が貧しかったという判断は、必ずしもあたりません。派手に消費しなかったというだけのことかもしれないのですから。
 時代は変って、消費者が大半の世となり、お金が価値基準のトップに置かれて、生活を成り立たせる働きを見えなくしてしまいました。実際には自給自足ではないので、多くの人の手を借りて生活が成り立っているにもかかわらず、そこを見ようとしない。・・・新しい時代にはそれに適した新しい感覚なり習性なりを身につけていないと、時代遅れのそしりを受けることになります。ただ、時代にうまく適応さえしていけばよいというのは、考え物です。
 全国学力テストで上位を占めた秋田と福井の両県で力を入れているのは、生活のリズムをくずさないということだと聞きました。早寝早起き、朝食をしっかり食べて、頭脳の回転をよくするという、生活の基本を大事にして、その上で学校生活を送るので、学ぶことがよく身につくのであろうということでした。
 わがままに流れず、自らを律して、生活の成り立ちをないがしろにしないという信心の取り組みからもたらされる果実は、量り知れないものがあります。
 →信心生活
表紙へ戻る
TOPへ