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<お>恩
 子が親から慈しみと恵みを受け、なおかつ将来への期待や願いをかけて頂くこと。社会的な序列における上位の者が、下位の者に与える感謝すべき配慮や利益、行為に関して、いつか何かの形で報いるべきと自覚された時、それを恩という。
 封建的主従関係において、主人と従者との間に、御恩を受ける見返りとして奉公で応えるという関係がその骨格をなし、報恩が道徳の基盤をなすものとされた。

 天地の親神様と人間との関係を、教祖金光大神は、親と子の関係になぞらえて説かれ、あいよかけよで立ち行くと仰せになっている。子が「親無くして自分はない」と自覚する時の「親の恩」を土台にして、神様のわれを根源で支え生かし下さるご恩を悟れよとのご真意と拝する。ご恩を身にしみてありがたく頂く者にして、はじめてご恩返し・お礼奉公としての日常生活が営まれることになる。
 古来神仏と人間の関係はと言えば、人間が自らの欲求を満たすために神仏を利用し取り引きすることが何の疑問もなしに行われ、人間の欲求に対応する形でこしらえ上げた神仏を拝み、そのご利益を求めるに終始し、もしも欲求を充足する上で妨害する動きが神仏にあると認められれば、その妨害をすり抜ける術まで用意していた。たたる神、金神に対して日柄方角をみることで対応するのは、その好例。
 戦後、自己実現が人生の最大価値とされ、既存の様々な制約を封建的な枠組みととらえるところから、親子の関係もともすれば「ほだし=手かせ足かせ」と受け取られがちで、それにつれて親の恩はかえりみられなくなった感が強い。子は、親を便利に使うけれども、してもらったことよりも、まだしてもらっていないことへ思いを集中して、親を攻撃する場面が多くなったのではなかろうか。近代化された世の中にあっては、神仏以上にご利益を授けてくれる便利な手段が豊富になり、恩を着なくても済む気軽さが重宝されてきているように見える。
 本来、神と人の関係は、神をいのちを成り立たせる根源的な支え、わがいのちの親なる神と頂き、日々の生活において「きずな」を深め、あなたあっての私という生き方を実現すべく、自己変革を目指して修行に励み、親神の願いをこの世に実現するご恩返しの生活によって深化されるものと考えられる。
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