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<し>式年祭
 死後一定期間を経た死者の霊を祭ること。死後50日(あるいは30日)で合祀祭を執行して、以後1年、3年、5年、10年、とあとは5年ごとに一応50年まで霊神祭を執行する、その各年祭を総称して式年祭という。式年祭以外に毎年霊神祭を行うことはあっても、それは例年祭といって式年祭とは区別している。
 固有名詞をもってお祭りする期間を一応50年とし、その後はご先祖様としてお祭り申し上げるのは、この世における関係者の生存可能性が小さくなってくるのであるから、それなりに理にかなった処置だといえるように思う。
 式年祭に限らず霊神祭にあたっては、生前好物としていた物などを霊前にお供えする。そうした心尽くしをもって死者の霊が安かれと祈るのである。そうは言うものの、生者がわが記憶に基づいて自己満足的に一方的に死者を慰め祭るのではない。互いに見える世界と見えない世界に分かれて、交流の仕方がむつかしいようにもあるが、すでに霊神祭をお仕えするそのことの中に、死者の霊が催してきていることを見落とすべきでない。生者は、死者の霊が願われるところに従って、お使い頂く練習を重ねながら、自らの霊の感度に磨きをかけているのである。
 この見える世界に生きている間は、敵だ味方だと区別にやかましく、わが欲得が満たされることを願うけれども、見えない世界に行けば、もはや欲と縁が切れてあだ討ちさえもいらない、敵も味方も区別なくただ助かり立ち行くことを祈る慈悲の心ばかりである。そうした霊神方の心を汲まず、「死者は加害者が極刑に処せられないと浮かばれない」と思ったりしがちであるが、これは死者の成仏を妨げる行為にほかならない。殺人を犯すほどの悪人に対して、どうぞ真人間になってもらいたいという願いをかける、ここにこそ神心の発動を見なくてはいけない。
 なお、仏教では法事を行うべき時を「数え」で数えるが、金光教では「満」で数える。
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