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<て>手続き
 事を運ぶ時、とりわけ神に願う時に、踏まえるべき筋道、手順。「○○の手続きをもって願う」というように用いられる。
 何事によらず、そのことの始まりとか成り立ちとかを顧慮せずに、今の時点でだけ見て裁断すれば、自分の都合だけを物差しとする可能性は相当に高い。神様のご都合に目を向け、事の成り立つ根元に立ち返るための促しとして、手続きが言われるのではなかろうか。
 生んだ者と生まれた者の関係を親子というが、子が自分の都合だけで親を排除し、神様に直接願うことがあるとしても、親を排除する行為そのものが神様という根源的ないのちのもとを無くてもよいものとする意味で、無礼になると思われる。本来、子は親を選べない道理であって、この外しようもない筋道を自分の都合で外せるもののように思うのは、大いなる間違いというほかなく、神様から「よく考えてみよ」と言われることになる。
 取次ぎ取次がれる関係において手続きが重視されることは、今に至っても変わりない。戦前の教規でこれを教会間の関係にまで拡大して「親教会・子教会」と称し手続き教会とした時期があった。戦後の教規では、制度上これを撤廃して、手続きは個人の関係にとどめるように改めている。けだし、個人の信心を最重要視するところからの処置であった。

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