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<ああの世
 死後の世界。例外的に生還した人の体験談(臨死体験)が皆無なわけではありませんが、誰も検証することができないので、ある意味では言いたい放題のまま、多くの死生観が流布しています。そうした中で、金光教祖金光大神は、死後のことは分からないけれども、日中自らの御役目に精を出し全力を尽くせば、夜は安らかに眠れるという実体験を踏まえて、「生きている間にあなた様のおかげで私は助かりましたとお礼を言われるような、徳を積む日々を心掛けていれば、死後のことは心配しなくてもよい」という趣旨のみ諭しを遺しておられます。
 死んだら神になる、仏になると、いくら決めていても、拝まれなければ神でもなく仏でもないという指摘は、首肯せざるを得ません。お墓をめぐって、一体死者はどこにいるのかと、問題になる昨今ですが、願い願われて生きた関係そのままに風になって前に立ち後ろに添って一緒に生きていて下さる。この天地を離れては生きるところなどどこにもない、これが金光大神流の<死後の世界>観です。
 死者は過去のものという先入観が共有されて、死者の名簿を過去帳と言うごとく、何の疑問も差し挟まないできています。金光大神の死生観では、死を境に現在(顕)と過去(幽)という二つの別世界に別れ別れになるのではなく、天地の間になおお世話になって生きて行くというのですから、これは画期的と申すほかありません。金光大神は、死後、なお人を取次ぎ助けて現にこの通りと証明し続けておられます。「助けてくれ」というところへはいつでもどこでも行って助けてやるとのお約束を果たし続けて、今に至っておられますので、この真実は否定しようもありません。
(了)