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<ば>罰
 定めを守らない、あるいは定められた通りにしようとして失敗する、そういう場合に加えられる不利益、苦痛のこと。
 「神罰覿面(てきめん)」と言いますが、つまずくようなことがあると、不行状に対する懲らしめ、つまりバチが当たったという受け止め方が広く浸透しています。確かに人間の世界では、法律や道徳に反する行いをすれば懲罰を課されることが当然のこととされます。神仏の世界でも同じと考えて、戒律を守らない人を「バチ当たりだ」と言ったりします。
 そもそも日本では、神の決まりとしては、神聖にしてけがれをきらうこと。さらに陰陽道でいう日柄方角を犯さないこと。この2点を共有してきました。
 金光教祖金光大神は、天地金乃神という万物を成り立たす親神が汚物排泄物を引き受けてくれるからこそ生き物が生きられるのであり、生も死も日と方角の吉凶に従うことができないという一事からして、神の決まりなるものが人間の考え違いによる誤りであり、従って神が罰を下して人間を苦しめるということはないと確信されるに至りました。
 「日柄方角見るに及ばず。自由勝手たるべし」と説き、同時に、天地金乃神様にお願いお断り申して事に当たれと諭しておられます。お世話になってお礼を言う。あくまでも頭が高くならないように。もしも頭を打つことがあっても、それはバチが当たったのではなく、目を覚ませとの御促しと受け止めて改まりに骨を折って、自分育てに向かう。そこに金光教の信心の開明性を見ることができます。
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