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<か>戒律
 様々な宗教や文化における生活規律や禁忌全般(タブー)のこと。戒は自制心を指し、律はルール(外部からの規制)を指す。
 特定の宗教や社会集団において、忌避すべき食べ物や行為が明確に定められていて、特に「殺すなかれ」という殺生戒は大方に共通しています。それでも一旦戦時下ともなれば、敵だというだけで殺人が正当化されてきました。政治が戒律をゆがめる例は枚挙にいとま無しです。宗教自体が、戒律を守らない異端者のいのちを奪うことは善だとしてきたことは、否定できない事実です。
 金光教には、「陰口を言うな」「心で人を殺すな」等、生活上の心得がいくつか示されていますが、いわゆる戒律に相当するものはありません。金光教祖金光大神は、42歳の大患に際して、日柄方角を厳格に守り金神にたたられぬように腐心してきた前半生を心から悔悟されました。金神と呼びならわして忌み嫌う、そのような神への向かい方が間違っていた。戒律の一つも守り切れない、この出来の悪さをも包み込むようにして、人間の助かりを祈り通している神。いのちを生み生かし養う親神の一心をそこに受け取られたのです。
 見渡せば、信心は戒律=決まりを守る事と受け止め、守らなければバチを蒙るのではと恐れる、そうした常識によって染められています。それでは、神も助からず人も窮屈な生活を強いられます。
 人を助けて神の願いに生きること。それ以外に守るべきことは無し。「人を見放すなかれ」「他人事にして無関心に打ち過ごすことなかれ」、神からの呼びかけとして聞こえてきます。
 いのちの生みの親である天地の親様の恩を忘れず、恩返しとて人を助けるご用に精を出す。その取り組みの最中にも、恩を着せていないか、相手を軽んじていないか、踏み台にしていないか、自分は正しいと決めてかかっていないか等々、自らに問うていくことが信心の修行となります。
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