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<し>信心・神人
 神仏つまり人間を超えた霊的な存在を信じて心を向けること。
 金光教祖金光大神は「この方の信心は神人と書く」と述べていますが、共通語の<信心>と同じ発音の<神人>や<真心>などの表記でもって、独自性を表そうとしています。
 神仏の威力は並みの人間でコントロールできるものでないので、特殊な能力を備え持った専門家に依頼して、その功徳に与って災難を免れたいと願うのが一般の常識でありました。たたるものであるから避けておくという神に向かう大方の態度が、いかに神の本来の姿を冒涜するものであるか。人間の都合で神をあしらうとは。金光大神は、大患に際して生死の境に身を置いて、いのちは天地の親神の願いを受けて生まれ生きている、神の御都合がすべてであると気付かれました。
 金光大神において、神と人の関係が産んだ親と生まれた子の関係として把握し直され、願い願われる関係を生きる営みとして、<神人>と表記されるに至ったと拝されます。もとより天地は、人間の都合からすれば災難としか言いようのない試練をももたらしますが、その中にあってなお親なる神の「助かってくれよ」と願い通してやまぬ切なる心を金光大神は人々に取次ぎ伝えました。天地にお世話になって生きて行くほかない人間の、お礼を忘れない生活を信心と言います。
 子どものままでいる方が気楽でよいからとか言って、一人前になれと成長を願われているのに自らそう願わない、これを無信心と言います。自ら助かりを願う人になる。願い合い頼み合う<神人>の道をひとりでも多く共に歩んでいくことを願ってやみません。
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