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<へ>平和
 力による支配を当り前とはせず、抵抗を続けることによって、辛うじて人権が守られている状態。戦争の無い状態であっても、抑圧に苦しめられる人々が存在するかぎり、平和であるとは言えないというのが、現代における共通認識となっています。したがって、金光教平和活動センターをはじめ、各地でNPOが取り組んでいる平和運動は、スラムの住民や迫害にさらされている難民、特に女性や子どもなど、被抑圧者に食糧や水、感染症予防ワクチンの接種や病気の治療を施し、教育の機会を与え、経済的自立を支援する、そのような事業を主な内容としています。
 戦争は国家間の矛盾を解消する手段として武力を行使するものであり、一旦戦時下ともなれば、敵対する国家国民のみならず対内的にも自国民に対して、平時にはありえない人権のはく奪が強行され、その結果、国家体制は生き残れても、人々は武器ともに消費されて終るのが相場です。イラク戦争に従軍した米軍兵士が生還しながらも、精神を病んで苦しんでいる事例が多く報告されています。イスラム過激派による自爆テロは、北半分が南半分を搾取している世界の経済構造、抑圧的現状を打破しようとしているともとれますが、人権を無視した破壊一点張りのやり方ではとうてい成功するとは思えません。
 各国家には自衛権があるとされますが、すべての戦争は自衛のために始められます。いのちをかけて守るに値するものかどうかといったような、国家に対する疑問を抱く輩は非国民とされ、ひたすら神話が語られます。それを信じるしかない状況の下で、国民は総動員される、これがが歴史の伝えるところです。
 一方が武器を捨てても、他方がそれを好機と侵略に及べば、武力による強権的支配が実現してしまう。・・・こうはならないために、安全保障体制を構築し外交力を磨いていかなくてはならないと、先人達は平和への道を日本国憲法(別名平和憲法)に刻みました。
 守られるべきものがキチンと守られてこその平和です。言論、思想信教、表現、が自由にできているかどうか、支配者の意向で制限されたり操作されたり、優位者がにらみを利かせて弱者に忖度させたり、そういうことがないように、グローバルなネットワークの活用、情報の共有もますます重要になってくると考えられます。
 沖縄では、軍事力のバランス(抑止力)を最優先にする政権によって、民意が踏みにじられています。これを沖縄だけの問題としない、私達の平和の問題として問題にし続けていくことが必要だと考えます。
 
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