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<ほ>翻訳
 ある言語によって表現されたものを他の言語で言い換えること。

 「金光教教典」は金光教祖金光大神が自記した文書と語った言葉の記録から成り立っていますが、日本語で書かれてはいても、前時代の一地方の農村生活者の語りであってみれば、後世の人間にとっては外国語も同然、翻訳を必要とする度合いは今後時間が経てば経つほど大きくなると考えられます。まして、外国人に伝えるためにはその国の言語によって表現し直すことがどうしても必要になります。
 そうだとして、言葉を置き換えればそれで翻訳したことになるかといえば、伝えたいことが伝わらなければ、翻訳できていないと言わざるをえない面があります。そもそも生活の舞台が違い文化が違うところで言葉だけを抜き出してきて置き換えても、伝えきれない部分が残る、そういう翻訳の限界を認めてかかることが大事ではないかと愚考します。
 機械的に言葉を置き換えた直訳からさらに意味を汲み取って最適の表現を試行する意訳へ、さまざまな翻訳が行われてきました。「金光教教典」の英訳1989年版では「天地金乃神」という神名を固有名詞として発音通りローマ字表記しています。西欧ではこの世界を創造した唯一絶対全智全能の神をGodと呼び万物をその被造物として見る世界観が主流となっていますが、万物いのちの生みの親なる神とその分身と見る日本の伝統的世界観の上に成り立つ神と人との関係等、金光教独自の助かりの世界を伝えるには、言葉遣いや言葉の説明に最大限の注意を払う必要があります。
 「天地書附」の英訳では「和賀心」がone's own heart となっていますが、「自他が足し合い喜びに満たされた」という漢字表記のもつニュアンス、その心が神であるという隠された意味合は落ちてしまっています。
 限界への絶えざる挑戦、翻訳は終わりの無い試行錯誤を伴う営みだといえるようです。
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