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<ふ>福
 欲求が充足された状態。幸福。
 欲求自体、自己本位な性質を帯びている上に、自分事と捉える範囲あるいは使命感など意識の違いが付いて回るために、個人差が大きくて、従ってその人が幸福かどうかを判定しようにも、基準を設けること自体不可能と言わざるをえません。たとえば失明状態の人で幸運にも視力を得たいという欲求が満たされたとして、そのために他者の行いのあらが目について内輪で仲たがいが生じてしまえば、それは災難の始まりだったと言わざるを得なくなりましょう。福か災かは、生きる主体の主観による面が確かにありますが、他者との関係において共感され「私もあの人のようになりたい」とか、「あの人と一緒に仕事をしてみたい」とか、思われるような主体に育てあげたいと自らの成長を願うことがなければ、どれほどの福も災に転じるのだと覚悟しておく必要があるようです。
 ほしいものを人よりも先により多くを手に入れれば福が来たと思うのは、自己の優位性を誇るもので、常に自分よりも劣る存在を身近に確保していないといけないわけですから、このような幸福感は子どもレベルと見なせましょう。ほしいものあるいはほしくないものを手にした途端に、それをどう生かすかという主体への問いかけがあり、世と人に対するお役目が課せられる。そのような、送り主(神)と受け手(人)の応答関係を生きてこそ、大人レベルの幸福観に達した、つまり信心の成長にあずかったと言えることのようです。
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