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<え>縁
 ある現象をもたらす原因となるめぐりあわせ。
 相互に結び付ける縁を例にとれば、血縁とか地縁とか言いますが、血(血筋)あるいは地(土地)という一つの要素だけで尽きるわけではなく、それを成り立たせる無数の要素が相まって、成り行きの中で生まれて来るというのが真相でしょう。
 自分の都合から見て良縁とか悪縁とか言いまして、良縁を集めるために縁起かつぎも辞さないのが世間流です。しかし不都合な悪縁だと決めつけて気嫌いするのは、縁を差し向けた神仏の人間にかけた願いを踏みにじって顧みないことにほかならず、その結果は発育不全となって返って来ることになりましょう。
 独りでは生きていけない人間にとって、良縁に恵まれたいという願いが切実であることはよく分かります。それ以上に、すべてを味方につけて好敵手とは見てもけっして敵に回さない、自他を対等の関係にあるものとしてチームワークを作り上げていく。縁に込められたものを私はそのように頂いていきたいと考えています。
 生まれた時、すでにいのちが生きて行けるいわばいのちの揺り籠=天地が用意されていたという事実は、誰も否定することが出来ません。縁あっての物だねです。もちろん天地の後に出来たものとは申せ、人間社会が更に身近な揺り籠であることは多言を要しません。ただそこには支配権力が働いて、メンバーとしての資格を問い選別を行います。その仕組みの中で、個人は他者と、利用し合うか排除し合うか、あるいは無関係無関心にやり過ごすか、いずれにしろ差別的な関係を生きることを余儀なくされます。今一度、天地のいのちの揺り籠に立ち帰って、日々賜り続けるご縁の数々を思い、その中に込められた親心神心を頂き直していくことが願われていると思います。
 

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