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<か>かわいい(放っておけない)と思う心
 2010年のクリスマスイブ、ある児童相談所にプロレス漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」名でランドセルが無断で届け置かれたことに端を発して、日本各地で匿名の寄付行為が広がり続いているそうですが、後年「伊達直人」は名乗りをあげ、孤児の身で親類を転々とし「お前がいるので問題が絶えない」となじられては「生れて来てすみません」と謝る生活を経験したこと、小学校に入学に際しても自分一人ランドセルがない辛い体験をしたこと、今同じ辛さを抱えている子どもの存在を見過ごせないことなど、自らの心の内を明かし、支援の輪を広げたいと語りました。
 世の中から見捨てられたと思うほどの体験をした彼だからこそ、あの辛さに今出会っている子どもたちのことが放っておけない、見捨てられていないというメッセージを何とか届けたいという一心から、行動に出たわけです。同じ見放された体験をしても、社会を敵視し攻撃行動に出るか、人助けに向うか、この分かれ目はその後の周囲との関係が受けた傷の修復に有効な働きを及ぼしたか否かに負うところが大きいと思います。
 金光教祖金光大神は、こまい氏子=社会の底辺に置かれた人々へ視線を注ぎ、その助かりのために捧げて生きる生き方を貫かれました。「世界真の平和、総氏子身の上安全」の祈りは、深く傷付いた人の傷を癒し人類の運命に関心を深める自分磨きの修行を伴うものであったと拝します。人を思いやる仁の心、博愛も慈悲も、一番支援を必要としている人々への眼差しを欠いては成立しません。助かりたいと願う者同士、助かりの実現のために「見捨てられていない」というメッセージをいろいろな形で送り合うことがいかに重要かを教えられます。
 現実には、傷付いた人を追い打ちし傷口に塩を刷りこむような、排撃行為が止みません。自分ひとりの勝ちを目指せば他者はみな敵と映るからでしょうか。共に助かる道の実現を今ほど強く願われる時はないと感じます。負の連鎖を断ち切ろうと願うこの平和運動に人類の運命がかかっていると言っても過言ではないでしょう。
 

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