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<え>永世生き通し
 教祖生神金光大神が生死を超えて人を取次ぎ助ける神となったことを指す。
 金光教祖金光大神は、1883(明治16)年秋、死を目前にして神から「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする。金光大神ひれいのため。」とお知らせを受け、それを「お知らせ事覚帳」に書き留めて絶筆とされました。自らの死の意味を問い「神からいよいよ人を助ける新たな役目を賜る、この上なきおかげである」と了解されたものと拝せられます。身代わりとは、肉体を隠して霊神になることを指すのでありましょう。
 現世における肉体は個別で、寿命を始め多くの限界があります。人生のはかなさを諸行無常と嘆きますが、それは肉体に囚われるからであって、個々のいのちは死後霊となって天地のいのちすなはち神と一体化して終わることがありません。
 それにしても、死ねば一様に神になるのかといえば、金光大神は「生きとる時に神になりおかずして、死んで神になれるか」(金光教教典理解T島村八太郎の伝え10)と説いています。この世において神の願いを実現する御用に身命を捧げた者は、あなたのおかげで助けられましたと拝まれるほどの関係を結ぶことができているので、死後もその関係は深まりこそすれ薄れることなく拝まれ続ける道理です。
 本来、神は始めもなければ終わりもない、天地のいのちとして生き通し働き通しておられますが、おかげさまでと拝まれるのは人間の都合に合うかぎりのことで、災難をもたらす悪神だの邪神だのと忌避されることが多くあります。神の願いを取り次いで人助けに生涯を捧げた金光大神は、神が災難をもたらし罰を下すことはないとして、助かってくれよという神の切願を人々に伝え、願い合い頼み合う親子の関係を生きるように教え導かれました。ここにおいて、神からも氏子からも両方の恩人と称えられ、死後も永世生き通しの取次の神となられたのです。現に時を経て今もなお、生神金光大神取次によって多くの人々が助けられています。

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