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<も>戻しの風
 世間の目で見ると常識外れで、どう受け止めてよいか分かりづらいような役回りでも、神様のご都合として受け止めていけば末できっと助かりとなると、自分に言い聞かせる時に「戻しの風は十層倍」と唱えます。
 金光教祖金光大神のご伝記を拝読すると、たとえば裏山で独り盆踊りを踊るとか、財布を拾らいに西へ向かうとか、ご神命を「はい」と受けて従う試験を繰り返し受けておられる様子がうかがえます。中でも、親類筋の貝畑久太郎が死んだから葬儀の支度をして親族を誘い行けと命じられるままに、急ぎ貝畑家に駆け付けると、当人が玄関に現れて「何しに来た?」と言わんばかりで、挨拶に窮して困惑したまま帰る道すがら、遅れて来た親族と鉢合わせした折しも、神から「常々その方の信心をあざけり嘲うておるから、目を覚まさせてやった。『戻しの風は十層倍』と唱えながら帰れ」と諭されたという出来事は、まことに困惑極まる体験であったと思われます。
 この事跡からは、農業を止めて神前での取次に専念奉仕せられて間のない頃、奥様のご実家筋が金光大神の信心に異を唱え元通り農業をするように迫っていたところへ、神様から爆弾が投げ込まれたような感じを受けます。金光大神にとっては、わが身を捨てて人を助けるという神様のご都合に従う練習を積まれたわけですが、世間に顔向けのできない変人の振舞を命じられては、やってられない気分に襲われても仕方のないところです。
 「神様を信じています」と言いますが、自分の都合で見ている限り、ほどなく「こんなはずではなかった」と言って信じられなくなるのは、火を見るよりも明らかです。神様のご都合に任せ切る、つまりいのちを捧げて悔いなし、顔の泥は神様が必ず拭って十倍にもして返して下さると、とことん神様を信じて従われた金光大神のところには、確かに尋常でないおかげが立ちました。
 事実として、貝畑家での一件ののち、一族の中から不信心をわびて入信する人が相次ぎ、反対派の急先鋒であった岳父古川八百蔵さんまでもが病気を機縁に取次ぎを願い出るに至り、金光大神の道開きの上に多大の働きをされたのです。わが道の布教の在り方は、犠牲を生まず、敵を作らず、どこまでも人の助かることを一筋に願い通すところに尽きると頂きます。

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